2009年12月16日水曜日

ジリアン・テット「愚者の黄金」

翻訳が今年10月に出たてほやほやの、「フィナンシャル・タイムズ紙が誇るトップ金融ジャーナリストが、巨大な信用バブルの創出と破綻に関わったバンカーたちの姿を徹底した取材で描」いた本。読みかけですが、これは期待大の感じなので急ぎメモ。
10年前には筆者はFinancial Times誌東京支局長であったため日本の金融危機への造詣も深く、日本語版への序文では日本のバブル崩壊を絡めて書いている。いわく、
どの金融システムも固有の欠陥があり、イデオロギーへの無批判な信仰に引きずられて極端に走るときにその欠陥が表面化する(中略)。日本の金融危機が1990年代に発生した理由の一つは、80年代、日本の銀行経営者が日本企業の独特な企業文化の優越性を自明のこととして信じていたからである。同じ傲慢さが米国の金融機関も毒していた。注目すべきは、ここ数年間、米国の金融機関経営者が日本より優れているだけでなく歴史上かつてないほど立派な金融システムを作り上げたと確信して過ごしてきたことである。
日本の銀行が90年代半ばから後半にかけて不良債権からの損失を隠蔽したのは集団的な恥の文化によるもので、経営者が自分のボーナスなどを膨らますことを目的にしたものではなかった。対照的に米国の銀行経営者は一般的に個人主義に突き動かされており、収入の極大化を目指して競争しており、そのために取引案件を実行した。(中略) 現実には両者ともに成功と大きな社会コストをもたらした。そしてバブルとその崩壊の中でコストが前面に出てきた。
序文だけで色々なことを考えさせられます。「成長に貢献したのだから年金を減らすなんてとんでもない」というJALのOBはまさにこの「成功と大きな社会コスト」の世代でしょうし、アメリカの金融機関はまだ過信したままだから、おそらくまたバブルが起こるでしょう。
昨年のAERAか何かで読んだCDSの開発者Terri Duhonの控えめなインタビューも思い出しました。まるで原爆に使われる技術を開発した物理学者のようだと思ったのをおぼえています。
いっしょにこのあたりも観たいところ。

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